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古希を迎えた筆者が自分の人生を通して毎日の事象を論じている。

高齢者と老人

令和が始まった。昭和・平成・令和と進んで来たが日本の社会は二極化や年金の問題で世の中はがたがたになっている。例えば下流老人という言葉も一般的となり誰でもが貧困層の一因になる可能性がある。高額所得者も年金受給者も誰でもが生活保護世帯となる可能性があると言うことである。

何故か、各家庭の状況によるが,病人が出て保険の効かない薬が治療を行うにあたって必要となる場合・夫婦揃って介護保険の受給者になった・交通事故をおこした・家を買ったが会社が倒産した・年金を支払ってこなかった・株式で失敗した。etc

いつの時代もこう言う問題はあるだろうしかし人口に占める65歳以上の割合が大きくなり全体のうち高齢者は25パーセントを超える超高齢化社会が到来している。
これは団塊の世代がいなくなるであろう時代まで問題が続くだろう。

各自高齢者となっていることに自覚はあるのだろうか?私は今年70歳だがあまり老人ということの意識はない。
これまで私のまわりで亡くなった人がいないこともありまだ自分は老人ではないと言う意識がある。まだ社会的弱者として社会に甘える気は無い。自分で可能な限り生活をしていこうと思っている。
実際問題として,老人という言葉が今の自分に当てはまらないと思っている。この7月で70歳になるがまだ足腰や頭の回転など遅れはあるが健常者についていける自信はある。
しかし,体を動かす仕事など身体的にきつい仕事は無理であるが通常の仕事は可能である。

 

こう考えてくるとまだまだ生きそうであるが,メンタルな面はかなり弱っている。70歳という歳に負けてしまうのである。例えば70歳から横浜市の無料乗車券が支給される制度があるがこれは昔は60歳,65歳でもらえていたものであると思う。それが70歳まで伸ばされ,爺が適用される歳になったら4400円支払う必要があるのだとか、これはバスに乗る値段220円を20回乗り降りするに要する値段であり安いものでは無い。
なんでも皆んな団塊の世代がもらえる年齢になるともらえる要件が不利になる。良い加減にしてもらいたい。

こういう話をしている爺が嫌であるが普通に暮らしている老人であるならこんな話をしなくても納得しているのだろうが。
今は老人という言葉は使わず高齢者と呼ぶらしい。年金でも騙され,制度でも過大な負担を求められ爺が要件がを満たす立場になると,自己負担金などの名目で完全な無料では無くなり不利な要件に改訂されてきた。こう言う世代を団塊の世代と言うのではないだろうか?

 

 

 

 

 

平成最後の日である

4月30日天気は雨,1日中雨だと言う。冬がせっかく終わったのだから新緑を楽しむためにも晴れてほしい。
だが雨の中,喫茶店にきてみれば満席で座れず。やむなくmacに来た。
ここも大勢の暇な人達でごった返していた。時間的には今15時ちょっと過ぎた処だ。
10連休の真ん中,どこかへ行きそびれた人達の避難所のようになっている。
一方こんな状況を見るにつけ思うのだがいい時代になったものである。五十年前喫茶店はコーヒー一杯350円から450円はしたものである。だから恋人同士或いはビジネスマンの仕事の場で今のようにコーヒーが100円で飲める時代ではなかった。平成に入り日本は二極化が顕著になったと言う。特に団塊の世代が年金の受給世代になると年金額がそれ以前の人たちと比べ低く抑えられその結果,下流老人と言われる人たちが以前と比べて増えているのだと言う。

私も年金を受給しているが実感として本当に苦しい。しかし反面低料金の喫茶店寿司店やホテルが出てきたようにも思う。例えば伊藤園オオルリなど低料金で泊まれるホテルがその代表であろう。伊藤園が二食付きで7800円オオルリが5800円である。普通に伊藤園オオルリクラスのホテルを利用すれば1泊13000円位するだろう。

実際老後は金との戦いである。年金が減らされこれから年金での生活に入る人は十分に気をつけるべきだろう。必ず65歳になる前に自分の年金がいくらになるのか,知った上で老後の生活を判断すべきである。僕の知り合いに遺族年金をもらっていた人がいたが65歳で年金の裁定替えが行われ,かなり年金が少なくなってしまった人がいる。月額10万円を切ったようだ。多分普通の生活をしていてはやって行けないと思う。家は持ち家だから良いが病気になったり家を修理したり臨時の金が必要になった場合困るのではないだろうか。

彼女は色々な店を見つけるのが得意で無料のホテルや,誕生日特典で無料のスパなど
を探し泊まっている。
住宅費を除いて生活保護費は12万位だから保護より低い金額になっている。持ち家があるから生活保護にはならないが彼女はそう言う生活をして今年70歳になった。しかし生活費が足りないとか言わないしパート労働もしていない。でもやっていける。勿論貯金はあるだろうが,厳しい現実に直面している。

平成が終わって令和になると言う。平成の30年間僕は子供に振り回された。かみさんが死んで18年経つが平成は我が家では不運の年号であった。

その分精一杯楽しむため海外旅行や温泉旅行に行けれるだけ行った。飽きるほど行った感がある。
平成最後の日である。特段,感想はないが令和に期待して、今日はいい夢を見よう。

 

 

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ダイエット

夜になってしまえばいいのだが昼独りでいると突然、えも言えぬ寂しさに襲われることがある。これまでは仕事をしていたからか社会のメンバーの一員であったからか疎外感を持つことはなかった。しかし今は子供が勤めに出た後,独りになった時もう古希だなってしみじみ思いあと何年でお迎えが来るのかななんて考えてしまう。変な疎外感というか寂寞感を持つ。平均的な寿命を80年とすれば後10年前後しか生きれないということである。

なのに、太るとはどういう事を意味しているのだろう?今年に入り3キロ増えた。年を取ってからは身体に肉が付くのではなく腰まっわりや腹に脂肪が付く。醜いスタイルである。
晴耕雨読という言葉があるがこの辺から来ているのかなと思ってしまう。年寄りの姿は間違っても綺麗ではない。
それに対して20歳前後の身体は,いうまでも無く美しい。醜い人も醜いなりに整っているのである。この歳の女の子は一人残らず綺麗である。太りぎみな人も痩せている人も。
個人的には女の子は少し太っていたほうが可愛らしいと思うのだが。それに気づいてか今の娘はおしゃれにリボンや様々な装飾品を飾って綺麗になっている。

この世は本当によく出来ている。誰もが皆幸せになれるように神様の贈り物なんだろうか。平等に与えられているから本当に不思議に思ってしまう。
この頃男子も色男になっている。つまり髪はフサフサ,キリリと締まった顔。身体が本当に綺麗である。若い人の身体は本当に綺麗だ。

歳をとるとそれを知ってかジムに行ったりヨガをやったりする人が急に多くなる。毎日ヨガでポーズをとっていれば綺麗な体型となる。多くの人が太っている事は芳しいとは思っていないようである。

歳をとってくると生活習慣病に襲われる気がする。痩せていた方がいいと思いダイエットを皆意識して生活している。しかし、ご飯を食べる量を減らしたり、甘いものをやめたりしただけでは簡単にダイエットはできない。私のやった方法はまず食事の量を減らし主に米、うどん、ぱん、パスタの類いの糖質制限食を一ヶ月くらいやり甘いもの・脂肪・の類いはとらず運動を毎日の生活の中に入れ(散歩2時間)、毎日体重を測る方法である。毎日体重が増えたり減ったりするのが分かる。これで2キロ痩せたことはあるしかしダイエットは一回やって終わりではないそのままずっとダイエットした体型を維持して行かなければならないのである、

それを考えると普通に食事して普通にたべて運動してできてる体形を維持していた方が楽かな。と思う。

その普通の生活のなかに食事制限や運動も入れて自分の体重の維持のメニュウを考えておく事が大事で意識して体重を減らす事をせずとも毎日がダイエットなのである。

こう言う忙しい毎日の生活も淋しさを紛らわせる方法なのかもしれない。

 

 体重は毎日決まった時刻で計るのがいい。太ったと思ったら食べる量を調整しプラスマイナス3キロくらいの範囲で体重管理をしていければ良いかなと思っている。

 

 

大人って?

平成が終わる。平成は子供が産まれ自立してくれた期間だ。
何もいう事がない平和で穏やかな年月であった。昭和平成令和と生きてきた
令和が最後になる。人間の営みって本当に不思議で有る、子どもなんか育てられないと言ってても子供が自立するとちゃんと親父としての役を演じられて来た。

子供を育ててみて反社会的行為はやれなくなる。子供を育てるのに自分の子だけ浮いてしまうようなそんな育て方はできない。子供は社会の財産で有る。

子どもを育てながら大人になる。子どもは大人の鏡で有る。その家の状況は子供をみていると一定程度判断が出来る。子供を育てる事で自分も大人になって行く。

大人と子供の違い

  • 大人は働いている
  • うまい物を食べている
  • 好きな旅行へ行ける
  • お金を持っている
  • 働くことが前提で生きている

  

  • 子どもは親と一緒に生きている
  • 子どもは毎日が勉強で暮らしている
  • 子どもは働かない
  • 親から美味しいものを食べさせて貰っている

人は社会的動物であるから他人との関係において生活している。それが出来ない人は社会から取り残されてしまう。しかし現代においてはこの取り残され組が多くいるという事である、

良く二極化が進んできた社会だという。正社員と契約社員派遣社員との2極化また貧富の二極化が進んだと言われている。年金までが勝ち組負け組があるらしい。

年金は支払いが多い人ほど高くなる、また掛けていた年数が多い人ほど高くなる。

将来的に年金はどのようになるかは分からないけど、掛け金は払っておいた方がいいように思う。それは自分で年金と同じ事をやろうと思っても出来ない人の方が多い。

今の若い人にとってはいい迷惑かもしれないが時代の流れが今これまでの違う流れ方になって来たことである。例えば45歳以上の人を対象としたリストラなどはその最たるものであろう。これまで45歳程度の人たちがやってきた仕事がコンピュータに取って代わられるという事だ。

銀行でも同じような事が起こっている人からコンピューターにお時代の幕開けである。

 

 

 

 

 

 

 

爺の幼少ころの思い出

 

 

昔、幼少の頃よく親父に連れられて橘山へ連れて行ったもらった。
一番印象に残っているのはそんな高い山では無いが木々が鬱蒼と茂ってジャングルみたいな山だった。間伐などはされてなく本当にジャングルだった。薄暗い木々の中にニッコウキスゲの花が薄暗い山の中にあちこち咲いていたことだった。とても綺麗で声が出なかった。

もう一つは春の早い時期、山に登った時木の穴に大きな蛇が眠っていたことであるそれが一匹や二匹では無くそういう木がある所は蛇が眠っていた。
恐くなって急いで山を降りたのを覚えている。

昔小学生の頃、爺はした事がないんだが列車の線路に長い釘を置いて列車に引いてもらうことによりその釘がナイフのようになるということを教えてもらった事がある。
しかし釘も危ないが電車に轢かれてしまったら命に関わる。それで朝の朝礼で校長先生が絶対にしてはいけないと言われたのを覚えている。
小学生の頃、爺はそおいうオモチャが欲しかったので有る。本物のナイフのようで河原に持って行って、木を切ってみたかったので有る。

皆んな小学生はそいうものを欲しがった。懐かしい思い出で有る。

爺は小学校の上級生になるとそおいうオモチャから解放され女の子に興味をもつようになった。可愛い子が好きであっちにもこっちにも好きな子がいた。小学校の頃は何クラスあったか忘れたけど中学は14クラスあった勿論一学年だけど。700人くらいの生徒がいた。3学年全体では2000人の生徒がいたことになる。

これで団塊の世代と言うようになった。評論家の俵屋太一と言う人が名付けたらしい。
今でも団塊の世代は大きな集団だ。年金財源が不足して年金が昔もらっていた人よりだいぶ減らされてしまった。

団塊の世代は今年皆70歳になる。高齢者が多くて負担してくれる者が4人で一人の高齢者を支えて,高齢者は増え続け負担する人は減少していくと言う不安定な人口構成となってしまった。

一方で団塊の世代も参っています。年金は減らされるし高齢者の優遇措置もない。一時期高齢者の医療費を全額無料にした事があった。けど、すぐ有料となっている。

昔年金は55歳から貰えていた今でも自衛隊は58歳からもらえる。次に60歳からもらえるようになったが団塊の世代は65歳に変更された。

今平均寿命は男が81歳歳女が87歳くらいだから年金開始年齢が70歳になりそう。それに今無年金者問題がクローズアップされている。これってその人が払って来なかったのだから、その人は自分でお金を貯金してきたはずなんだけど。月々自分で15,800円を払い続けるのは大変。できない、若い頃は身体が元気だから年金いらねやと思うかもしれないが年金は高齢や障害で働けなくなった時に出るものだから、高齢というのは誰にもやって来る事実です。払ってこなかった人は自業自得で年金はもらえません。ですから絶対に支払っておいて下さい。

生きるって大変です。例えば31歳位で悪いことをして懲役20年くらいの刑に服することになった人は70歳くらいまで働かないと年金もらえなくなる。大変ですので悪いことはしなように!

 

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学生時代 

爺の学生時代は,50年以上前の話であるが、全部が楽しかった。
あの時、あの場所であの時間話した友人そしてアジ演説をしていた彼・彼女それを聞いていた爺、今の時代と比べて遅れてしまった所は無い。

あえて言えばスマホ、スイカ、位かなスマホは学生時代あれば便利かなと思う、スイカはあっても無くても同じ。スイカが出来た時金入れておくのだから同じじゃんと思った。しかし当初は電車の切符くらいしか買えなかったのが、コンビニやkiosuk、その他の店で使えることが分かると便利だと思うようになった。

 

勉強はしなかった、したくなかった,女の子と話している方がずっと楽しく楽だった。それに試験の時はノートを見せてもらえるし本当に助かった。
デモ行進にも2〜3回参加したことがある。あの当時の学生は皆参加したことがあると思う。社会現象だった。

毎日の学校生活は楽しかった。学校へ行けば女の子がおりナンパしなくても女の子と話しができた。そして彼女ができた。Y子だった。いつも二人で出かけた、エルトンジョンの音楽も聴きに行った。渋谷や新宿で映画も見た。おもにY子のアパートで生活をした。

学校生活も4年で卒業になってしまう。早いもので何もしないうち皆んな終わりに近ずいた。卒業後の就職のため図書館で勉強をした。本当に嫌だった。
そんな時目黒の駅前のパチンコ屋で打った1000円くらい、負けて辞めるのだがいつも負けていた、バイトの金を随分つぎ込んだ。

旅行もした伊勢志摩の方を1週間くらい回って来た。伊勢志摩の光景が目に浮かぶ。とても綺麗だった。

 それで卒業が決まった。ああっという間の4年間だった。

卒業の前横浜のアパートを決めておいた。2月に横浜に引っ越してきた。それからあっという間に45年が過ぎた。淋しい苦しい楽しい時期があったが過ぎた。

何を思えばいいのだろう?生まれ変わってやり直してもまた同じ人生を繰り返すだろうもう嫌だ、静かに墓石の下で眠っている。

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桜の咲くころグアムの海に散骨してもらおうかな?寒いのは嫌いだし暑いのも嫌だ海の底で静かに時の流れを楽しんでいたい。爺は生きているときはストレスが多かったな。

 

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 今いろんな会社が栄養剤として発売してますよねその中で一番古いともいます。
今では世界で売られている。大抵のショプでは売られていますけど160円位です。

味が一番古いよねこいう栄養剤の基本となったのがこれだよね。

僕も定期的に買っているので注文しますよ。値段が安い。それに味がサッパリ系統であるが疲れている時の一発は特に効く。

 

 





時間が止まってくれ

毎日が楽しかった!終戦後のどさくさの中で生きてきたがおもしろかった
今の時代と変わったことは殆どない。舗装道路が珍しかった、電話は家になかった、学生時代まで呼び出してもらった。

伝達装置が(携帯電話・スマホが普及したこと)
英語を意識して勉強をし出したこと
知らない大学が増えたこと

爺の頃は月30000円送ってもらって細々と生活ができた(1970年代東京大田区糀谷)
部屋の家賃は6500円で3畳一間だったトイレは共同、風呂無し、台所共通だった。
      テレビ無し・冷蔵庫・エアコンも無かった。
                      当時チャーハン210円餃子120円位だった。
      学食で定食が180円だった。焼そば130円

よく遊んだ渋谷・新宿・目黒・品川etc
      今でも思い出すと胸がキューンとなる。

でも東京に住みたい、五反田で藤圭子の歌を聴きたい。東京に出てきたのはまだ昨日のよう。東京のパチンコ屋の音まで好き。

その頃の横浜にはきた事がなかった。まだトロリーバスが走っていたと思う。よく土地の年配の方が十全・電車道という言葉を使ったのを覚えている。今はもうその人たちもいない。爺が24歳頃その年配の人は80歳前後だった。十全は市大病院のことであり、電車道は1号と16号が交差する浜松町あたりの道路だと思う。

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  横浜美術館東側

横浜が好きな理由

東京に近い。家から東京駅まで60分以内に行ける。
港が好き。外国船を見ていると船で旅行をしたくなる。
海が好き。あの潮の匂い、海無し県に生まれたものはうんといい匂いに感じる。
群馬から修学旅行で海が見えるところに来たときには、ガイドさんがいちいち海が見えるポイントと潮のにおいを案内してくれる。そのたびにみんな窓から首出して先生に怒られていた。昔のバスはエアコン無かったと思う。その代わり窓の開け閉めが出来た。

 

小学校5年生で東京、6年生で江ノ島鎌倉旅行だった。爺らの修学旅行はまさに旅行でお菓子をたんまり持って来るのが普通だった。おこずかいも300円とか500円持って買い物を楽しんだ。当時群馬から東京までは高速道路は無く前橋東京のバス旅行は大変だった。爺のほかバスに酔う人が大勢いた。道路はまだ完全に舗装されていなかった。バスも乗客の事を考えた作りになっておらず、エアコンもなかった。なのでみんな窓から首を出してして担任に怒られていた。