hiroji`blog

古希を迎えた筆者が自分の人生を通して毎日の事象を論じている。

 葛飾区柴又

京浜急行を使って虎さんの故郷東京へ行ってみた。梅雨空のうっとしい日写真を撮りに葛飾柴又まで行ってきた。天気は曇り一時雨の中,帝釈天を拝覧してきた。

東京のはずれで電車で1時間20分横浜の田舎からかかる。東京でも葛飾区というとあまり高層ビルもなく街並みはレトロで懐かしさを覚える。昭和があったんだなと思ってお店の駄菓子を眺めていると昭和に帰りたくなる。生まれた故郷に帰っていくような変な気持ちになる、

f:id:okahiro5627:20190714152124g:plain

戦後の日本に生まれ世間的には団塊の世代と呼ばれあらゆる場面で競争だった。遅ければ何も無いし勉強をしなければ大学には行けなかった。

戦争を知らない子供たちとして平和な日本に安寧として育ち学生運動ではヘルメットをかぶって戦争ごっこをし就職にあたっては髪を切り,大人の世界に入っていった。

柴又の商店街は賑やかであちらこちら昭和の宝物が飾られていた。人生100年のうち今70歳になろうとしている。50年前と今何が変わっただろうか?
見回しても変わったものはすぐには思いつかない。

アスファルトの道がこんなになかった、砂利道が市街を離れるとあったものだが今は必要な箇所以外は全て舗装されている。これは大都市に限られたことではない。

昭和の頃は雨の日には砂利道に水が溜まりクルマに水をはねられた。そんな道は残っていない、10円20円の駄菓子は柴又のようなところでしか買えなくなった。

柴又の帝釈天はそんなに古いお寺ではないが懐かしい昭和の佇まい。寅さんを思い出すときみんな帝釈天を思い出している。ほんわりと暖かい昭和の匂いがするのである。
ふと、道に迷ったとき寅さんが呼んでいる。

 

 

 

 

 

韓国と日本

世界は中国とアメリカの貿易戦争、日本と韓国の輸出を巡る紛争。本当に賑やかである。日本は僕が小学生の頃は定かではないが世界で120番目の国で有った気がする。
それが気づいてみれば世界3番目のGDPを有する国家となっている。世界の先進国のアジア代表としての地位を完全に固めた。

僕が小学生のころ学校から家まで2キロくらいの距離であったが途中未だ舗装されてない道路が多数あった。それが今では田んぼのあぜ道でさえ舗装されており、されていない道路は最近は見たことがない。
僕は昭和31年小学校に入った。その頃学校は木造校舎で外壁に蝙蝠が巣を作っていた。
校庭は雨が降ると泥濘になっていたし体育館がまだなかった。

今の、カンボジアやセイロンと言ったところだ。それでも学校は楽しかった。今思いだしても懐かしさで胸が一杯になる。校舎には用務員のオジサンがいて授業が終わると大きな金をカランカラント合図をしてくれた。プールはあったが深さは一番深いところで210もあった。今のように危険だからという考えはなかった。

給食は敗戦国日本はアメリカからの脱脂粉乳のミルクが出た。クジラの肉も出て今のように上品な食べ物は無かった。それでも学校へ来ない子は僕のクラスにはいなかった。
学校から帰ればめんこやビー玉をして日が暮れるまで遊んだ。その頃今思えば自分より上のクラスでは未亡人が多かった。誰も教えてくれなかったが、お父さんが戦争で死んでいた。

日本人は僕が小学生のころから朝鮮は好きでなかった。パチンコ屋と芸能界に大勢朝鮮人がいた。その後日本は高度経済成長を成し遂げ世界第2位のGDP国家となった。朝鮮戦争が朝鮮とアメリカの間で起こり日本は特需を迎えた。
それから第2次ベビーブームが起こり団塊の世代となった。

受験戦争の名前がで誰もが大学へ進学しようと思った。しかし今大学は受験者より定員の方が多くなっている。希望の大学で無ければ誰でも入れる事になった。

 

 

 

 

 

 

 

虫歯

毎日歯をみがいているのに虫歯ができた。犬歯の奥の歯で前回の検査で様子を見るということであった歯である。虫歯の治療も疲れる。

予約が取れたのが5月の第1週で申しこんでも5月中頃で2週間くらい待った。

今回は歯の歯石を取ってもらおうと思って予約を取った。

毎日毎日歯を磨いても」虫歯にはなる。イヤだけどしょうがない。歯の清掃と虫歯の検査で5000円くらい掛かる。

f:id:okahiro5627:20190419205421j:plain

今年は花粉症から喘息になり医者にかかった。喘息が30年ぶりくらいに復活したのが辛い。

喘息なんてただ咳が出るだけじゃないかと思っている人は間違いである。非常に苦しく腹筋や背筋が痛く本当に辛い。

坐骨神経痛は痛みが酷い時は歩けない。尾てい骨から脚の裏側から膝にかけて激痛がはしる。立ってもいられなくなると思う。

その2疾患に見舞われてた。咳をすれば足腰が悲鳴を上げるそんな状態が2カ月続き本当に滅入った。

このため今年の1月から6月にかけての半年は写真を撮れなかった。

f:id:okahiro5627:20190325091257j:plain

写真を撮る事は趣味であり生き甲斐である。写真クラブに入り7年関わって来た。

今はちょっとスランプ状態である。いい写真が撮れた時には気分が良いが、なかなかそんな写真は撮れない。

それでも年1回の展覧会は楽しみであり傑作ができるのが楽しみである。

今年も半年がおわり令和元年にもなれた。昭和・平成・令和と生きているが70近くになると疲れる。10年がまるで昨日のことのようで月日の過ぎ去る事はとても早い。

毎日が特徴もなく過ぎて行くので昨日今日いつの日の事だったか忘れアクセントの無い月日が重なり忘れてしまう。

 

忘れる日も多くなった。今日が何曜日で幾日か全くわからない事がある。

そんな歳になって歳を取ることの大変さがわかってきた。特に身体的に自分で望まない疾病がいつのまにか患っている事である。例えば僕は喘息と坐骨神経痛があり治療を続けている。それに糖尿病は2年患っている。

高齢と病気は比例する。歳を取れば病気になり病気の人の人数は増えて行く。

こんな時代長く生きようとは思わないが,生きているうちは楽しく気持ち良く生きていたい。

 

EISAN(エイサン) 電動アシスト自転車 AS-261W-E ブラック

EISAN(エイサン) 電動アシスト自転車 AS-261W-E ブラック

 

 

 


 

喘息と座骨神経痛が治る日

座骨神経痛は2018年8月暑い中自転車で川崎の街を仕事で全力疾走したことが原因である、1週間若い人について行きとんでもない速さで自転車をこがされたことがあった。

その日の翌日から足腰が痛くて立っていられないくらいである。臀部から両足の膝まで激痛が走っていた。それでも当初は1日か2日で治ると思っていたが、それから2ヶ月が過ぎても4ヶ月が過ぎても症状は良くならないし返って太ももやふくらはぎが痛みが強烈になり医者に行かにゃと思っていたが病名をつけられるのが嫌で行かなかった。

f:id:okahiro5627:20190324140244j:plain  f:id:okahiro5627:20190325081714j:plain

そんな中この5月花粉症でクシャミを何回もしているうちに風邪をひき(自覚なし)そのまま咳に変わったような状態であった。

それから咳が止まらなくなりゼイゼイ苦しい状態が続いていた。
この気管支炎の発作により自分では治療困難だと判断して医者にかかった。

坐骨神経痛の痛みと喘息?の息苦しさでもう死ぬところであった。

医者に行ってシンビコートと言う薬をもらうまではこの苦しみが続いた。
シンビコートはこの両方の症状に効果があります両方の症状が改善されて快適な気分になった。更に神経を緩めるためかこの薬が効いて来ると眠くなるので一石三鳥の自分にとっては貴重な薬という事になる。

f:id:okahiro5627:20190624111707j:plain

この薬を飲んで今は普通の状態になりよくなっている。

しかしこの薬は胃が気持ち悪くなり食欲はものすごくなくなる。気持ち悪く吐き気がする。副作用が強い薬なのだろう。

食べ物はほとんど食べたくなくダイエットができた。あれから自転車を購入して2ヶ月が経たがまだ2回しか乗らず勿体無いのでこれからは使用しようと思う。

   白髪のサプリメントが誕生した。これまで外から塗ると言う作業が入るためなかなか綺麗に白髪像めをする事は出来なかった、白髪が半分濡れていなかったり、しばらく経つと白髪は少しつづ白くなりうまく染められなかった、それが飲むサプリになり綺麗に根元から黒毛が映えるので綺麗な仕上がりとなった。

高齢者と老人

令和が始まった。昭和・平成・令和と進んで来たが日本の社会は二極化や年金の問題で世の中はがたがたになっている。例えば下流老人という言葉も一般的となり誰でもが貧困層の一因になる可能性がある。高額所得者も年金受給者も誰でもが生活保護世帯となる可能性があると言うことである。

何故か、各家庭の状況によるが,病人が出て保険の効かない薬が治療を行うにあたって必要となる場合・夫婦揃って介護保険の受給者になった・交通事故をおこした・家を買ったが会社が倒産した・年金を支払ってこなかった・株式で失敗した。etc

いつの時代もこう言う問題はあるだろうしかし人口に占める65歳以上の割合が大きくなり全体のうち高齢者は25パーセントを超える超高齢化社会が到来している。
これは団塊の世代がいなくなるであろう時代まで問題が続くだろう。

各自高齢者となっていることに自覚はあるのだろうか?私は今年70歳だがあまり老人ということの意識はない。
これまで私のまわりで亡くなった人がいないこともありまだ自分は老人ではないと言う意識がある。まだ社会的弱者として社会に甘える気は無い。自分で可能な限り生活をしていこうと思っている。
実際問題として,老人という言葉が今の自分に当てはまらないと思っている。この7月で70歳になるがまだ足腰や頭の回転など遅れはあるが健常者についていける自信はある。
しかし,体を動かす仕事など身体的にきつい仕事は無理であるが通常の仕事は可能である。

 

こう考えてくるとまだまだ生きそうであるが,メンタルな面はかなり弱っている。70歳という歳に負けてしまうのである。例えば70歳から横浜市の無料乗車券が支給される制度があるがこれは昔は60歳,65歳でもらえていたものであると思う。それが70歳まで伸ばされ,爺が適用される歳になったら4400円支払う必要があるのだとか、これはバスに乗る値段220円を20回乗り降りするに要する値段であり安いものでは無い。
なんでも皆んな団塊の世代がもらえる年齢になるともらえる要件が不利になる。良い加減にしてもらいたい。

こういう話をしている爺が嫌であるが普通に暮らしている老人であるならこんな話をしなくても納得しているのだろうが。
今は老人という言葉は使わず高齢者と呼ぶらしい。年金でも騙され,制度でも過大な負担を求められ爺が要件がを満たす立場になると,自己負担金などの名目で完全な無料では無くなり不利な要件に改訂されてきた。こう言う世代を団塊の世代と言うのではないだろうか?

 

 

 

 

 

平成最後の日である

4月30日天気は雨,1日中雨だと言う。冬がせっかく終わったのだから新緑を楽しむためにも晴れてほしい。
だが雨の中,喫茶店にきてみれば満席で座れず。やむなくmacに来た。
ここも大勢の暇な人達でごった返していた。時間的には今15時ちょっと過ぎた処だ。
10連休の真ん中,どこかへ行きそびれた人達の避難所のようになっている。
一方こんな状況を見るにつけ思うのだがいい時代になったものである。五十年前喫茶店はコーヒー一杯350円から450円はしたものである。だから恋人同士或いはビジネスマンの仕事の場で今のようにコーヒーが100円で飲める時代ではなかった。平成に入り日本は二極化が顕著になったと言う。特に団塊の世代が年金の受給世代になると年金額がそれ以前の人たちと比べ低く抑えられその結果,下流老人と言われる人たちが以前と比べて増えているのだと言う。

私も年金を受給しているが実感として本当に苦しい。しかし反面低料金の喫茶店寿司店やホテルが出てきたようにも思う。例えば伊藤園オオルリなど低料金で泊まれるホテルがその代表であろう。伊藤園が二食付きで7800円オオルリが5800円である。普通に伊藤園オオルリクラスのホテルを利用すれば1泊13000円位するだろう。

実際老後は金との戦いである。年金が減らされこれから年金での生活に入る人は十分に気をつけるべきだろう。必ず65歳になる前に自分の年金がいくらになるのか,知った上で老後の生活を判断すべきである。僕の知り合いに遺族年金をもらっていた人がいたが65歳で年金の裁定替えが行われ,かなり年金が少なくなってしまった人がいる。月額10万円を切ったようだ。多分普通の生活をしていてはやって行けないと思う。家は持ち家だから良いが病気になったり家を修理したり臨時の金が必要になった場合困るのではないだろうか。

彼女は色々な店を見つけるのが得意で無料のホテルや,誕生日特典で無料のスパなど
を探し泊まっている。
住宅費を除いて生活保護費は12万位だから保護より低い金額になっている。持ち家があるから生活保護にはならないが彼女はそう言う生活をして今年70歳になった。しかし生活費が足りないとか言わないしパート労働もしていない。でもやっていける。勿論貯金はあるだろうが,厳しい現実に直面している。

平成が終わって令和になると言う。平成の30年間僕は子供に振り回された。かみさんが死んで18年経つが平成は我が家では不運の年号であった。

その分精一杯楽しむため海外旅行や温泉旅行に行けれるだけ行った。飽きるほど行った感がある。
平成最後の日である。特段,感想はないが令和に期待して、今日はいい夢を見よう。

 

 

趣味の文具箱 42 (エイムック 3753)

趣味の文具箱 42 (エイムック 3753)

 

 

 

ダイエット

夜になってしまえばいいのだが昼独りでいると突然、えも言えぬ寂しさに襲われることがある。これまでは仕事をしていたからか社会のメンバーの一員であったからか疎外感を持つことはなかった。しかし今は子供が勤めに出た後,独りになった時もう古希だなってしみじみ思いあと何年でお迎えが来るのかななんて考えてしまう。変な疎外感というか寂寞感を持つ。平均的な寿命を80年とすれば後10年前後しか生きれないということである。

なのに、太るとはどういう事を意味しているのだろう?今年に入り3キロ増えた。年を取ってからは身体に肉が付くのではなく腰まっわりや腹に脂肪が付く。醜いスタイルである。
晴耕雨読という言葉があるがこの辺から来ているのかなと思ってしまう。年寄りの姿は間違っても綺麗ではない。
それに対して20歳前後の身体は,いうまでも無く美しい。醜い人も醜いなりに整っているのである。この歳の女の子は一人残らず綺麗である。太りぎみな人も痩せている人も。
個人的には女の子は少し太っていたほうが可愛らしいと思うのだが。それに気づいてか今の娘はおしゃれにリボンや様々な装飾品を飾って綺麗になっている。

この世は本当によく出来ている。誰もが皆幸せになれるように神様の贈り物なんだろうか。平等に与えられているから本当に不思議に思ってしまう。
この頃男子も色男になっている。つまり髪はフサフサ,キリリと締まった顔。身体が本当に綺麗である。若い人の身体は本当に綺麗だ。

歳をとるとそれを知ってかジムに行ったりヨガをやったりする人が急に多くなる。毎日ヨガでポーズをとっていれば綺麗な体型となる。多くの人が太っている事は芳しいとは思っていないようである。

歳をとってくると生活習慣病に襲われる気がする。痩せていた方がいいと思いダイエットを皆意識して生活している。しかし、ご飯を食べる量を減らしたり、甘いものをやめたりしただけでは簡単にダイエットはできない。私のやった方法はまず食事の量を減らし主に米、うどん、ぱん、パスタの類いの糖質制限食を一ヶ月くらいやり甘いもの・脂肪・の類いはとらず運動を毎日の生活の中に入れ(散歩2時間)、毎日体重を測る方法である。毎日体重が増えたり減ったりするのが分かる。これで2キロ痩せたことはあるしかしダイエットは一回やって終わりではないそのままずっとダイエットした体型を維持して行かなければならないのである、

それを考えると普通に食事して普通にたべて運動してできてる体形を維持していた方が楽かな。と思う。

その普通の生活のなかに食事制限や運動も入れて自分の体重の維持のメニュウを考えておく事が大事で意識して体重を減らす事をせずとも毎日がダイエットなのである。

こう言う忙しい毎日の生活も淋しさを紛らわせる方法なのかもしれない。

 

 体重は毎日決まった時刻で計るのがいい。太ったと思ったら食べる量を調整しプラスマイナス3キロくらいの範囲で体重管理をしていければ良いかなと思っている。